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先に出るはやぶさの車掌さんはJR九州の方でしたね寝台特急といえば昔は終点までずっと同じ車掌さんが乗っていましたね最後の機関車(ED76 78)、「サザンクロス」(ジョイフルトレイン)塗装ですね、客車が1994年に引退し、追ってこの機関車も廃車となったとのことで貴重な記録です
晩年の あさかぜの✨星の見える食堂車ですね高級感あって好きでした‼️
あさかぜに、また乗りたい😥💦ブルートレイン復活を願う‼️
1101は名機ですね!
もっと乗りたかったなあ😥
通称 スーパーあさかぜ、一度、乗車して見たかった。金帯3本線 グレードアップの象徴だった。
しれっとサザンクロス色のED76映ってる
これは485系ハウステンボスがカラフルになった時の頃ですね。
映ってるものが全部貴重wお宝映像ですわこりゃ
食堂車廃止から九州ブルトレの衰退が始まった
金帯車両の食堂車休止はショッキングでした。
70年代後半に国鉄の運賃と料金がとんでもないレベルで大幅値上げされた頃から、乗客離れが著しくて、すでに激しく衰退していましたが。だからこそ、何の問題もなくハネの2段化ができたわけです。(定員ガタ減りでも、繁忙期以外はどうせ埋まらない)
upありがとうございます。因みに撮影日分かりますか?EF 66-46の全般検査が平成4年3月の様に見えるのでそれ以降だと思うし、また食堂車営業停止が平成5年3月なので、これ以降6年12月までとは推察できます。ありがとうございますというのは、この46号機の遺品(プレート)の持主で、全般検査日の全日時を調べていたからです。因みに9レ、10レは国鉄からJRに変わり金帯化されてすぐの頃数ヶ月乗務していました。食堂車は最初は出雲に連結されたオシ24-701〜703(星空バーって言ってましたね)が最初あさかぜに組み込まれ、やが704、705(オリエント調)の改造が終わりそれがあさかぜ専用となりました。
確かに平成5年4月から翌年平成6年11月までの映像解説(西暦は1993年から翌年1994年)である事は間違いないと思います、理由は食堂車が営業していない事利用者数が低下している事です、映像解説の博多あさかぜさくらはやぶさ富士の食堂車は平成5年3月(西暦1993年)に営業停止、みずほ浜田出雲の食堂車は平成3年5月(西暦1991年)に営業停止しています
@@尾崎憲行-y3r さんへありがとうございます。間違いないという事で、カニ24-100のEF66-46の連結は撮影されなかったんですか?当時はまだまだおおらかな時代だったので、あの位置まで入っても怒られる事はなかったですから、勿体ないなと思ったんですが、
@@尾崎憲行-y3r さんへそうですね。金帯化してすぐの87年4〜6月頃でも確か博多から9レ、10レの往復で食堂車と車販合わせていい時でも40万円行けば良い方だったかな?新幹線だと0系だと売上のいいクルーは東京〜博多往復で夏休み期間中は240万円くらいあげてましたから、比べ物になりませんでした。
@@ZX750e11ビジネスマンの大半は 東京博多間80年代後半から飛行機利用ですし新幹線利用となると東京広島間もしくは名古屋博多間ぐらいですし90年代前半になると東海道山陽新幹線にのぞみが台頭最初は新大阪止まりで博多延長東京広島間もしくは名古屋博多間新幹線速度上昇に伴い夜行列車が余計に不必要になりましたからねえこれは仕方がないと思いますね、夜行列車の不必要論は70年代後半から論議されています
コメントありがとうございます。こちらの映像は調べましたところ、1994年5月のものでした。映像にはないですが、たしか牛丼だったか、ちょっとしたものが食堂車で売られていたと記憶しております。
先に出るはやぶさの車掌さんはJR九州の方でしたね
寝台特急といえば昔は終点までずっと同じ車掌さんが乗っていましたね
最後の機関車(ED76 78)、「サザンクロス」(ジョイフルトレイン)塗装ですね、
客車が1994年に引退し、追ってこの機関車も廃車となったとのことで貴重な記録です
晩年の あさかぜの✨星の見える食堂車ですね
高級感あって好きでした‼️
あさかぜに、また乗りたい😥💦ブルートレイン復活を願う‼️
1101は名機ですね!
もっと乗りたかったなあ😥
通称 スーパーあさかぜ、一度、乗車して見たかった。金帯3本線 グレードアップの象徴だった。
しれっとサザンクロス色のED76映ってる
これは485系ハウステンボスがカラフルになった時の頃ですね。
映ってるものが全部貴重w
お宝映像ですわこりゃ
食堂車廃止から九州ブルトレの衰退が始まった
金帯車両の食堂車休止はショッキングでした。
70年代後半に国鉄の運賃と料金がとんでもないレベルで大幅値上げされた頃から、乗客離れが著しくて、
すでに激しく衰退していましたが。
だからこそ、何の問題もなくハネの2段化ができたわけです。
(定員ガタ減りでも、繁忙期以外はどうせ埋まらない)
upありがとうございます。
因みに撮影日分かりますか?EF 66-46の全般検査が平成4年3月の様に見えるので
それ以降だと思うし、また食堂車営業停止が平成5年3月なので、これ以降6年12月
までとは推察できます。
ありがとうございますというのは、この46号機の遺品(プレート)の持主で、全般検査日の
全日時を調べていたからです。
因みに9レ、10レは国鉄からJRに変わり金帯化されてすぐの頃数ヶ月乗務していました。
食堂車は最初は出雲に連結されたオシ24-701〜703(星空バーって言ってましたね)が最初
あさかぜに組み込まれ、やが704、705(オリエント調)の改造が終わりそれがあさかぜ専用となりました。
確かに平成5年4月から翌年平成6年11月までの映像解説(西暦は1993年から翌年1994年)である事は間違いないと思います、理由は食堂車が営業していない事利用者数が低下している事です、映像解説の博多あさかぜさくらはやぶさ富士の食堂車は平成5年3月(西暦1993年)に営業停止、みずほ浜田出雲の食堂車は平成3年5月(西暦1991年)に営業停止しています
@@尾崎憲行-y3r さんへ
ありがとうございます。間違いないという事で、
カニ24-100のEF66-46の連結は撮影されなかったんですか?
当時はまだまだおおらかな時代だったので、あの位置まで入っても
怒られる事はなかったですから、勿体ないなと思ったんですが、
@@尾崎憲行-y3r さんへ
そうですね。金帯化してすぐの87年4〜6月頃でも確か博多から9レ、10レの往復で
食堂車と車販合わせていい時でも40万円行けば良い方だったかな?
新幹線だと0系だと売上のいいクルーは東京〜博多往復で夏休み期間中は240万円くらい
あげてましたから、比べ物になりませんでした。
@@ZX750e11ビジネスマンの大半は 東京博多間80年代後半から飛行機利用ですし新幹線利用となると東京広島間もしくは名古屋博多間ぐらいですし90年代前半になると東海道山陽新幹線にのぞみが台頭最初は新大阪止まりで博多延長東京広島間もしくは名古屋博多間新幹線速度上昇に伴い夜行列車が余計に不必要になりましたからねえこれは仕方がないと思いますね、夜行列車の不必要論は70年代後半から論議されています
コメントありがとうございます。こちらの映像は調べましたところ、1994年5月のものでした。映像にはないですが、たしか牛丼だったか、ちょっとしたものが食堂車で売られていたと記憶しております。